「野球の神様」と称され数多くの人々を熱狂させたベーブ・ルースは、53歳という若さで永眠しています。
今回は、ベーブ・ルースの晩年や死因について解説していきます。
「ベーブ・ルース」とは?簡単に説明
1895年にアメリカのメリーランド州で生まれたベーブルースは、メジャーリーグベースボールのプレイヤーで、現役時代は「野球の神様」と呼ばれて親しまれていました。
現役時代は身長188cm体重97. 5kgという当時としては非常に大柄な体格を誇っていたものの、身体の大きさに反して童顔であったことから「バンビーノ 」という愛称で親しまれていました。
打者としても投手としても活躍した二刀流選手の元祖であり、本塁打王を12回受賞するなど、2022年現在でも破られていないメジャーリーグの記録を3つも保持しています。
また、アメリカのスポーツ界における英雄のひとりであり、野球界においては史上最も偉大な選手として認識されています。
1935年、ルースは40歳の時に現役を引退し、野球界を外部から支え続けますが、1948年8月16日、がんのため53歳で死去しています。
「ベーブ・ルース」の死に様
1946年、51歳の時に左目に激しい痛みを感じたベーブルースは悪性の腫瘍が左内頸動脈一帯に罹患していることが発覚してしまいます。
すぐに放射線療法による治療を始めたものの、翌年の退院時には、現役当時より36kgも体重が落ちてしまっていました。
その後新薬を投与したことで体調が一時的に回復し、体重も10kgほど戻りましたが、すでに杖なしでは歩行することもままならないほどに衰弱しており、ガラガラ声で発声することさえ難しくなっていたと言います。
1948年8月16日、ルースはニューヨーク市内の病院で53歳で永眠していますが、死後の検死ではがん細胞が鼻と口一帯に広がり、急速に身体全体へ転移していったためと公表されています。
「ベーブ・ルース」の死に様の信憑性
ベーブルースは鼻咽頭がんと診断されますが、闘病生活に入ってからも精力的に野球イベントや自身を冠したチャリティーイベントなどに参加していました。
現役当時のルースの姿を知っている数多くのファンは、衰弱しやせ細ってしまった彼の姿を見て大きなショックを受けますが、野球を愛し次世代を担う子供たちに向けたルースの深い愛情を感じるスピーチなどに心を動かされます。
イベント中はバットを杖の代わりに使用するほど歩行困難な状態で、骨と皮が目立つ見た目は、一見しただけではベーブルースであることが分からないほどでした。
イベント終了後には再度入院することを余儀なくされたルースは、入院中にはファンの子供たちから3万通を超えるお見舞いの手紙などを受け取っていたと言います。
がんは鼻と口一帯に広がっていたため、最後はほとんどしゃべることもできない状態のまま53歳で永眠したルースでしたが、最後までファンに愛され幸せな人生だったと妻に漏らしていたそうです。
「ベーブ・ルース」の小ネタ等
1934年(昭和9年)11月2日から12月1日にかけて、メジャーリーグ選抜チームの一員として来日したベーブルースは、航空便がしっかり発達していなかった時代だったため、長い船旅により日本全国12都市を周遊しながら試合をしていきました。
そしてこの来日の際に、日本野球不滅の大投手である沢村栄治投手とも対戦しています。
まとめ
野球の神様と称され多くの人々に親しまれてきたベーブルースの功績は、死後80年近く経った現在においてもアメリカや日本を中心に間違いなく生き続けています。