アッティラはフン族の王として有名で、現在のハンガリーを中心に一大帝国を築き上げた人物です。
アッティラの晩年と最期を紹介します。
アッティラとは?
アッティラは、フン族のムンズクの息子として誕生しました。
伯父であるフン族の王ルーアが亡くなると、兄のブレダと共にフン族の王となります。
兄弟で共同統治をしていましたが、ブレダが亡くなりフン族の支配者となりました。
ブレダの死はアッティラの暗殺によるものという説もありますが、明確なことは分かっていません。
ゲルマン系の諸族を征服し、ライン川からカスピ海に至るまでの地域を制圧して一大帝国を築き上げました。
略奪を繰り返したため「神の災い」と恐れられたといわれます。
アッティラの晩年
アッティラは晩年、ガリアに侵入します。
ガリアは現在のフランス・ベルギー・北イタリアにあたる地域です。
しかし、ローマ軍と西ゴート軍の連合軍に敗北し、撤退を余儀なくされました。
この戦いは、カタラウヌムの戦いと呼ばれています。
かなりの激戦だったようで、アッティラは大打撃を被り死を覚悟したといいます。
ローマはフン族の支配を免れることができましたが、アッティラを追撃する程の戦力は残されていませんでした。
その翌年、アッティラは北イタリアへと侵攻します。
ローマに迫りますが、ローマ教皇のレオ1世と会見を行い教皇に説得されてイタリアから退去することを約束しました。
アッティラの最期
イタリアから退却したアッティラでしたが、再びコンスタンティノープルを攻撃することを計画していました。
しかし、それを実現する前にアッティラは急死してしまいます。
自らの結婚式の宴の最中、突然大量の鼻血を出して倒れたといわれています。
それにより窒息死しました。
その原因ははっきりしませんが、食道静脈瘤が破裂したことによって内出血を起こしたと考えられます。
宴で大量のお酒を飲んだことが影響したのかもしれません。
また、アッティラは妻に刺殺されたという説もあります。
アッティラの最後の妻はイルディコで、とても美しい少女でした。
アッティラはイルディコと結婚する前にすでに何人もの妻を娶っており、その妻たちのうちの一人に刺されたという説です。
ただし、あまり信憑性の高い話とはいえないようです。
アッティラの死後
アッティラの死後、フン族の勢力は一気に衰えました。
アッティラには何人か息子達がいましたが、権力闘争を繰り広げたからです。
フン族は分裂し、それをきっかけにアッティラに従っていた部族たちも次々と独立していきました。
アッティラが本拠地としていたところは、東ゴート族の支配下となります。
その他の地域も東ローマ帝国などに併合されました。
まとめ
アッティラは一大で巨大帝国を築き上げますが、北イタリアに侵攻した時にはローマ教皇に説得され撤退しています。
そして自らの婚礼の宴で倒れ、昏睡状態に陥ります。
大量の鼻血を出し、窒息死しました。