「ジミ・ヘンドリックス」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

史上最高のギタリスト「ジミ・ヘンドリックス」の散り際とは?

この記事ではジミ・ヘンドリックスの晩年と死に際について解説していきます。

「ジミ・ヘンドリックス」とは?簡単に説明

ロック史上最高のギタリストという陳腐な言葉でしか表現できない圧倒的な存在感を持つミュージシャン。

古今東西関係なく、世界中で彼に憧れ、彼の真似をした若者、ミュージシャンは多いことでしょう。

日本では1985年の大晦日で紅白歌合戦で「吉川晃司」氏がギターをステージ上で燃やすパフォーマンスを見せましたが、元は彼のライブパフォーマンスを真似たものでした。

音楽性はもとより前述した派手なギミックは人を惹きつける魅力に溢れていたと言えるでしょう。

実質的な活動期間は4年程度であるがゆえに、時の経過とともにその存在は神格化されることとなっています。

「ジミ・ヘンドリックス」の晩年

『ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス』に次いで『バンド・オブ・ジプシーズ』も解散。

「ミッチ・ミッチェル」「ビリー・コックス」両氏と音楽活動を再開。

しかし不穏な噂も流れるようになっていました。

それはかつて付き合っていたとされる「ジャニス・ジョプリン」同様にドラッグとアルコール依存の影によるもの。

実際にヨーロッパツアーでは体調不良を訴えていました。

マネージャーとの不仲も生まれ、元マネージャーの「チャス・チャンドラー」氏の再登用を画策していたともされます。

「ジミ・ヘンドリックス」の死に様

1970年9月18日にロンドンのサマルカンドホテルからSt. メアリー・アボッツ病院へと緊急搬送され、12時45分に死亡が公表されています。

27歳没。

寝る前に大量のアルコールと睡眠薬を摂取。

睡眠中に嘔吐し、吐瀉物が喉に詰まっての窒息死だと検死が発表しています。

「ジミ・ヘンドリックス」の死に様の信憑性

スーパースターの謎の死であり、亡くなった当初から自殺、他殺、陰謀説がまことしやかに囁かれています。

同宿していた女性の「モニカ・ダンネマン 」氏の証言にも些か不審な供述があり、救助隊員との証言の食い違いも見られて、タブロイド各紙では大きく謎の死として取り上げられました。

特に疑問の残るのは現場に駆けつけた緊急隊員と彼を担当した医師の証言でしょう。

吐瀉物の量が部屋にとてつもない量、撒き散らされていたと言います。

医師は赤ワインが鼻や口から溢れ、気管と肺の入り口、のどの後部全体に吸引器で吸い上げているにも関わらず、とめどめなく液体が溢れ出てきていたと回想しています。

まるで赤ワインで溺れたようだとも語りました。

2009年に「ジェームズ・ライト」氏が著作本『Rock Roadie』のなかで、マネージャーの「マイケル・ジェフリー」氏が大量の睡眠薬をワインで飲ませて殺したと話しているのを聞いたと記述しています。

これは緊急隊員や医師の証言を裏付けるものとなりました。

またその動機はチャンドラー氏の復帰で、自身が解雇されるのを恐れたため。

200万ドルの保険金も掛けていたとまで書かれています。

しかしジェフリー氏は73年に飛行機事故で死亡しており、真偽は以前闇の中です。

まとめ

1970年9月18日ロンドンのサマルカンドホテルで変死。

27歳没。

病院に搬送後の12時45分に死亡が改めて公表されています。

死因は吐瀉物が喉に詰まっての窒息死でした。

しかし尋常ではない量の赤ワインが体内から検出されたほか、死亡時刻からかなりの時間が経過して通報された可能性があるなど多くの謎を残しています。

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