その死は飽食のアメリカに衝撃を与えた?「カレン・カーペンター」の散り際とは?
この記事ではカレン・カーペンターの晩年と散り際について解説していきます。
「カレン・カーペンター」とは?簡単に説明
いわずとした『カーペンターズ』のボーカル兼ドラマーであり、彼らの音楽をリアルに聴いたことがない世代でも、そのメロディ、フレーズはCMやドラマの挿入歌で耳にした事があるはずです。
『トップ・オブ・ザ・ワールド』『イエスタデイ・ワンス・モア』『青春の輝き』などヒット曲は多数。
「ジョン・レノン」氏や「ポール・マッカートニー」氏も絶賛する独特の低音域の声は世界を魅了しました。
忘れがちなのはカーペンターズ初期はドラマーであること。
彼女は歌えるドラマーを自称していたほどの腕前です。
「カレン・カーペンター」の晩年
1980年に実業家の「トム・バリス」氏と結婚するも、実際には彼女の資産狙いだったと言われ、夫の散在癖と借金、金銭工面に翻弄され、わずか1年で離婚を決意。
しかし同意が得られなかったことで事態は泥沼化していきます。
過剰なダイエットでステージで倒れたことがあったもの、この時期には回復していたとされます。
しかし精神的ストレスにより拒食症が再進行、体重は30キロ台にまで減少。
このため生きるために点滴を行う日々が続きました。
離婚問題に目処が経ったところで心理セラピストを受診。
これにより体重を大きく戻すのに成功します。
しかしこれは諸刃の剣となり、短期間での体重の増加が逆に心臓に負担を掛けることになってしまうのでした。
「カレン・カーペンター」の死に様
1983年2月4日朝、カリフォルニア州ダウニーの両親宅で意識不明の状態で発見。
緊急搬送されましたが到着から20分後に死亡確認されました。
32歳没。
死因は検死では神経性無食欲症と容易に手に入る嘔吐剤の心毒性によるものでした。
また解剖学的には心臓麻痺と拒食症、そして軽度の栄養失調の複合によるものだとされています。
「カレン・カーペンター」の死に様の信憑性
彼女の声に魅了された人物は世界中におり、有名なシンガーも絶賛する大スターだっただけにその死は掘り下げられていくことになりました。
1989年に兄リチャード氏が製作総指揮を取ったドラマ『THE KAREN CARPENTER STORY』では兄の観点から妹・カレンの姿が描かれています。
また晩年は過食症と拒食症を交互に繰り返す摂食障害に陥っていたのは有名な話ですが、母親との関係が良くなかったこと、そして結婚した実業家の「トム・バリス」との結婚生活が破綻していたことも大きく影響していたのは間違いありません。
別居後の82年にはニューヨークで「スティーブン・レベンクロン」氏によるセラピーを受け、15キロ近く体重は戻しています。
しかし2ヶ月で体重を大きく戻したことで心臓に大きな負担が掛かったのは間違いないでしょう。
また甲状腺、下剤、嘔吐剤を多用していたことも明らかになっており、実に通常使用量の10〜50倍程度を常用していたと言います。
まとめ
1983年2月4日朝、ロサンゼルスの両親宅で倒れているところを発見。
搬送されるも蘇生はかないませんでした。
32歳没。
死因は検死では摂食障害と嘔吐剤エメチンの過剰摂取による心筋症由縁の心不全。
解剖学的には心臓麻痺と拒食症、軽度の栄養失調だとされています。