「中村紘子(なかむらひろこ)」とは?
中村紘子の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「中村紘子」とは?簡単に説明
中村紘子は日本の世界的ピアニストです。
1965年(昭和40年)のショパン国際ピアノコンクールで日本人としては初の4位入賞を果たしており、最年少者賞も受賞します。
このコンクールでの日本人の入賞は田中希代子(田中は10位で初入賞しています)に次いで2人目です。
その後、国内外の演奏活動を積極的に行なって評価され、チャイコフスキー国際コンクールやショパン国際ピアノコンクールなどの審査員を歴任しました。
また1994年(平成6年)から15年間に渡り、浜松国際ピアノコンクールの審査委員長も務めました。
「中村紘子」の晩年
中村紘子は1974年(昭和49年)に芥川賞作家の庄司薫と結婚、海外演奏会には必ず夫婦揃って出かけるほど仲のよいおしどり夫婦として知られていました。
そんな彼女が2014年(平成26年)2月、腸閉塞の腹腔鏡手術を受けた際に大腸ガンとポリープが発見されます。
病期はステージ2だったそうです。
通常なら手術するところですが、中村紘子は抗がん剤治療を選択します。
その他にも免疫療法や漢方療法、食餌療法などを組み合わせながら、2泊3日の入院治療を4回受けています。
その甲斐あって翌年には復帰しますが、2015年(平成27年)8月に大腸ガン治療に専念するため、再び活動を停止します。
その後は病魔と闘いながらも2016年(平成28年)4月に復帰して8ヶ月ぶりに演奏を披露しますが、またしても体調が悪化して再入院となります。
「中村紘子」の死に様
中村紘子は2016年7月26日午後10時25分に大腸ガンのため、東京都内の自宅で亡くなりました。
72歳でした。
彼女は「病院がつまらない」と言って、亡くなる前日で彼女の誕生日である7月25日に自宅に戻って夫の庄司と愛犬とで過ごしたとのことです。
そして最期は夫と愛犬に看取られて亡くなったそうです。
同年5月8日に兵庫県洲本市(淡路島)で行なったリサイタルが最後の公演となりました。
「中村紘子」の死に様の信憑性
たまたま自宅で亡くなっていますが、亡くなるまでの闘病生活の様子を見ると、死に様の信憑性に問題ないようです。
入院中にもかかわらず、亡くなる前日にたまたま自宅に戻っていたようですが、最期の夜を最愛の夫と愛犬と一緒に過ごせたのは何よりだったでしょう。
まとめ
中村紘子が世界的なピアニストであることは何となく知っていましたが、ふだんの私の生活で彼女を見ることはありませんでした。
それが晩年、テレビやコーヒー、カレーのCMに出演するようになって、日本にもこんなに素晴らしいピアニストがいることを改めて認識したことを覚えています。