「ジャンヌ・ダルク」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

ジャンヌ・ダルクはなぜ処刑されたのか?

「ジャンヌ・ダルク」とは?簡単に説明

1412年頃、ジャンヌ・ダルクは現在のフランス東部地域で、何の変哲もない普通の農夫の娘として生まれました。

12歳を迎えたころ、ジャンヌは一人で屋外を歩いていた時に、大天使ミカエルやアレクサンドリアのカタリナ、アンティオキアのマルガリタの姿を幻視して、神からの啓示を受けたと言われています。

このジャンヌが受けた神の啓示による予言が実際に的中したことを受けて、彼女はフランス軍に従軍しはじめ、宿敵であるイングランドとの百年戦争における重要な戦闘に参加して勝利を収めることに成功します。

これによりフランス王シャルル7世の戴冠に尽力した最重要人物となったジャンヌは、女性ながらも神の啓示により戦争を勝利に導く女神として崇められる一方で、悪魔からの賜物だという声も巻き起こり賛否両論の渦が大きくなっていきます。

その後、ブルゴーニュ公国軍の捕虜となったジャンヌは、身代金と引き換えにイングランドへ引き渡されますが、不服従と異端の疑いにより、異端審問にかけられ、最終的に異端の判決を受け、19歳という若さで火刑に処せられてその生涯に幕を閉じています。

「ジャンヌ・ダルク」の死に様

1430年、フランスとイングランドとの間で休戦協定が結ばれますが、この協定は間もなく失効し、ジャンヌ・ダルクはブルゴーニュ公国軍に捕らえられ、捕虜になってしまいます。

この当時、敵の手に捕らえられた捕虜は、身内や関係者などが身代金を支払うことで、身柄の引き渡しを要求するのが一般的でしたが、ジャンヌの場合はシャルル7世がジャンヌの身柄引き渡しに介入しなかったので、異端審問を受ける流れになっていきます。

この宗教裁判でジャンヌは「女性が戦場に出るなどもっての外」「女性の分際で男装するのはご法度」「聖職者でもないのに神の啓示を受けるなどありえない」などの言いがかりともいえる罪状を挙げられ「聞こえたのは神の声ではなく悪魔の声、こんなことをいう奴は間違いなく魔女」などという理由で「処刑」を言い渡されてしまいます。

さらに酷いことに、ジャンヌが文字を読めないということを悪用した裁判官は、内容を読んで確認することができないジャンヌに宣誓書にサインをさせて火刑という最も過酷な刑を確定させており、灰になるまで焼かれた上に、そのままセーヌ川に流されるという現代では考えられない極刑を科せられているのです。

「ジャンヌ・ダルク」の死に様の信憑性

当時捕らえられ牢に入れられたジャンヌ・ダルクは、牢に繋がれている数ヶ月の間、牢番たちの暴行から身を守るために男性の服装をしていたと言います。

また、フランス軍を指揮していた当時も戦場で男装していたことを取り上げられ、宗教裁判では、ジャンヌの度重なる男装が異端としての証明であると大変非難され続けました。

しかしながら裁判を控えていたジャンヌが男装をしていたのは、牢番たちの暴行から身を守るためということに加えて、牢番から与えられていた衣服が男装しかなかったという事実も発覚しており、ジャンヌからの他の衣服を用意してほしいという訴えや要請も反故にし続けた結果のことでした。

そしてついに1431年5月30日、死刑の最終宣告により、ジャンヌはルーアンのヴィユ・マルシェ広場で火刑に処されることになります。

異端とされたジャンヌは、死せずして逃げのびたという噂を防ぐためだけに、火あぶりされ、黒焦げになったその姿を大衆の前に晒され続けました。

イングランド政府は、ジャンヌが本当に死んだ事を大衆に見せしめ、すでに黒焦げになっている遺体の周辺に薪を積み上げ、灰になるまで焼き続けます。

そして、その灰すべてをセーヌ川に流すことで、遺体の一部を持ち去られて聖遺物になる事を阻止したのでした。

「ジャンヌ・ダルク」の小ネタ等

ジャンヌ・ダルクが神の声を聞き始めたのは、精神疾患による幻聴が原因として挙げられることも少なくありませんでしたが、彼女の言動にはその他の精神疾患による症状がまったく見られていません。

一方、フランスを救うことで、数多くの苦しむ人々を救いたいという彼女の純粋な願いが内なる声となり、それが幻聴として聞こえたという説もあります。

そしてジャンヌの死後、彼女の名誉を回復すべく復権裁判が行われ、イングランドによる異端審問での有罪判決はすべて覆され、改めて無罪が宣告されています。

これにより、ジャンヌは16世紀におけるフランスのカトリック同盟の象徴となり、現在ではもっとも有名な聖人のひとりとして多くの人々に親しまれるようになりました。

まとめ

現在では、フランス人を団結させるアイコンとしても知られているジャンヌ・ダルクは、19年間という短い人生でしたが、生涯を終えた今でも多くの人の心に残り続けている稀有な偉人と言えるでしょう。

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