この記事では、「田中角栄」の晩年や最期について分かりやすく解説していきます。
「田中角栄(たなかかくえい)」とは?簡単に説明
「田中角栄」は日本の政治家であり、第64代内閣総理大臣、及び第65代内閣総理大臣を歴任した人物です。
1972年7月に第一次田中内閣が発足し、同年12月に第二次田中内閣が発足します。
しかし、総理辞任後の1976年に「総理の犯罪」の名でも知られる世紀の汚職事件「ロッキード事件」が発覚しました。
「田中角栄」の晩年と最期
「ロッキード事件」が発覚したことにより、「田中角栄」は逮捕、起訴されました。
その後、自民党を離党しますが、刑事訴訟の最中、無職属で出馬、地元の選挙区で1位当選し続けるのでした。
マスコミから「闇将軍」とも呼ばれていたように、その後の首相就任にも「田中角栄」は影響を及ぼし続け、「田中角栄」の影響が及んだ内閣は「角影内閣」や「直角内閣」、「田中曽根内閣」と称されていました。
「田中角栄」自身も無罪が確定したときは自民党へ復党し、総理総裁への返り咲きを目指していたようですが、徐々に支配力は低下していきます。
そして、ストレスが原因で多量の酒を飲むようになり、1985年2月27日、脳梗塞で倒れ、入院措置となってしまいます。
医師団より「被殻を中心とした大脳基底核が壊死した」と発表されました。
その後、「田中角栄」の身柄は娘「田中真紀子」ら家族により、私邸に帰され、1993年に75歳で息を引き取りました。
「田中角栄」の死に様の信憑性
1985年に「田中角栄」が倒れると、「田中真紀子」ら親族は、田中派議員にも知らせず、「田中角栄」を目白台の私邸へ一時帰宅させたと言われています。
病院側は「専門リハビリは自宅療養では困難である」と発表するも、「田中真紀子」は「病院発表には関知しない」と発表し、病院長や主治医らと絶縁する意志を記者クラブへ通告しました。
こうして、重度の言語障害を負った「田中角栄」は8年間「田中真紀子」の完全管理の下で過ごすことになり、私邸にほぼ引きこもり状態になった後、1993年に死去したのです。
そして、「田中角栄」没後の1995年、「ロッキード事件」の上告審判決理由で、最高裁により「田中角栄」の5億円収受が認定されました。
まとめ
「田中角栄」は第64代内閣総理大臣、及び第65代内閣総理大臣を歴任した人物です。
2度の総理大臣を務め、退陣した後、汚職事件「ロッキード事件」が発覚し、逮捕、起訴されます。
自民党離党後も無職属で当選し続け、政治への影響力を及ぼし続けたことからマスコミから「闇将軍」とも呼ばれました。
復帰を志していたものの、多量の飲酒がたたり、1985年に脳梗塞で倒れてしまいます。
それから8年の間、娘「田中真紀子」の管理下に置かれた末、1993年に75歳でこの世を去りました。