この記事では、「古墳時代」と「飛鳥時代」の違いを分かりやすく説明していきます。
「古墳時代」とは?
一昔前と変わり、現在の日本史年表では「先土器時代(旧石器時代)」、「縄文時代」、「弥生時代」、「古墳時代」その次に「飛鳥時代」と記載されるようになりました。
この中の時代区分として、3世紀半ば頃から7世紀頃までの「古墳」が特徴的な時代を「古墳時代」と呼んでいます。
日本全国の豪族たちの黎明期で、権力者によって大型の「墓」として前方後円墳などが作られた時代を指しています。
「飛鳥時代」とは?
飛鳥地方に都が置かれていた、592年頃から710頃年にかけての時代を指しています。
この時代になると、前時代に盛んだった前方後円墳が作られなくなります。
仏教が入り、聖徳太子が摂生となり、冠位十二階や17条憲法が制定され、隋や唐との交流も盛んになった時代と言われています。
「古墳時代」と「飛鳥時代」の違い
大きな時代の流れとしては、「飛鳥時代」は「古墳時代」に含まれているとも言えるようです。
「古墳時代」の末期が「飛鳥時代」にあたり、「古墳時代」の象徴であった前方後円墳が作られなくなったことなどもあり、次第に古墳文化が姿を消していくようになったと言われています。
古墳時代末期には、小型の円墳や方墳へと進化し、聖徳太子も自分の墓としてそういった古墳を作ったようです。
古墳時代の特徴として、墓の贅沢な副葬品から、当時の交易や文化の状況が伺い知れます。
「飛鳥時代」の次は、710年頃からの「奈良時代」になります。
「奈良時代」になると「墓制度」の改革があったため、古墳文化は終焉を迎えました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
大きな時代の流れとして「古墳時代」の中に「飛鳥時代」が含まれていることが分かります。
現在の教科書などでは、「古墳時代」と「飛鳥時代」は区別されています。
古墳は豪族や権力者たちの墓であり、その副葬品から諸外国との貿易や当時の文化が垣間見えるものです。